洗脳

私が辞めるまでは父、母、私、長男で仕事をしていました。

創業43年?。この業界じゃ結構長く続いている方だと思います。

 

私は働きだして26歳の時にデキ婚します。

まず私はもし仮に将来妊娠出来たら貯金を全て持って遠い土地で暮らそうと漠然と考えていました。

そのくらい出会いもなく、自分が結婚出来るとは思って居ませんでした。

小さい頃からお前は何でそんなに不細工なんだ

この両親から生まれたのに何でだろうね…と

親戚や親に言われ続けていました。

故に見た目の劣等感は半端ないです。醜態恐怖症というやつです。

 

 

自営というのは自由が効く反面、親子ならではの衝突もあり、私が仕事が出来るようになればなるほど父との衝突も増えました。

父はここまで店を守ってきたプライドと

私は昭和のままの古い技術や接客など変化する事を求めていました。

そして長男についての収入や、優遇、差別を我慢できませんでした。

 

まず第一に私はシングルマザーです。

ここ重要なんですが父は母子家庭が大嫌いです。そしてデキ婚なんぞクソ食らえと言わんばかりの態度です。

 

普通に結婚し、不妊治療しながらでも一男一女を授かった長男夫婦を優遇します。

 

まずびっくりしたのは長男夫婦が結婚の報告をする時に父が弟嫁に「店を出してあげようか?」と言った事です。

 

アホなのかと。

どこにそんなお金があるのかと。

 

そんなお金があるなら私の給料上げてくれ…

と当時思いました。

当時の給料はフルタイムで働いて8万だったでしょうか。

 

正直、将来に不安しかなかったです。

この子を育てていけるのだろうか、高校へ、その先へ進学させてやれるのだろうか。

 

扶養手当の申請に行った時にこの給料じゃ生活できませんよ?他で働く事は考えていないんですか?と言われました。

でも私は跡継ぎなんで…この給料でも我慢しないといけないんです…と答えました。

それが当たり前だと思っていましたから。

 

ずっと母から言われていました。

「あなたの代になったら好きなようにやって良いから」

この言葉を信じてずっと働いてきました。

こーゆー風にしたいな、事務所はこうだな

売り上げが良くなったらお世話になった母校に求人出したいな…と。

父とぶつかる度にこの言葉を思い出し踏ん張りました。

今思えば何を信じていたんでしょうか。

親は長男に継がせようと思っているのに。

 

弟は全然仕事を覚えませんでした。

何故なら両親が「あの子は出来ないから」とやらせないから。

明らかに何もできません。

何故私には求めるのに弟にはやらせないのか

私には理解が出来ませんでした。

小さい不満が積もりに積もって爆発した20年目

何故こんな弟ばかりに何故だ!!となった私の気持ちを次の回でお話しします。